発見!新潟島 西堀通り寺めぐり Homeヘ
発見!新潟島 西堀通り寺めぐり 予備知識

西堀と寺町


西 堀 散 歩


「西堀通り」

新潟市にある「
西堀通」は、昭和35年に (西堀)を埋立てて作られた道路です。
.
西堀通一番町

白山神社の前、新潟地方裁判所の脇、
西堀通はここからはじまるのでした。
ちょっと散歩してみましょう。
西堀通り

この通りは、昭和35年まで、
堀(西堀)だったのでしたが、
新潟国体を境に埋立てられて
道路となってしまいました。
現在「
道路名」と、
通り沿いの「
町名」として
残っている
ですが、

現在は道路脇に残る柳の並木
昔の
跡を偲ぶことが出来たりします。
新潟が水の都、
柳都(りゅうと)と呼ばれるのも
堀のあった当時の名残でもあるのでした。
西堀通三番町、瑞光寺境内には
会津八一先生が新潟のを詠んだ
歌碑があります。


ふるさとの吉江の
葉隠に
夕べの
のもの炊ぐころ
さてさて歴史をさかのぼってみると、

西堀通周辺の
町名は、
明治5年に「
西堀通」と変更されるまでは、

寺町という町名だったそうです。
何故でしょう?
その答えは、、、
まず、西堀通六番町、新潟島の繁華街、
古町(
ふるまち)のメインストリート
柾谷小路と交わる場所。
古町十字路とも呼ばれる地点にある
新潟市のランドマークタワー?
↑NEXT21→
こちらにちょっと登ってみましょうか。

NEXT21展望室より

西堀通に並ぶ
寺院右側の道路が西堀通

現在は地図で見たり、
新潟のランドマークタワーNEXT21の展望室より眺めてみると、
西堀通に沿って数多くの寺院が並んでいるのが良くわかりますが、
その昔、新潟の町並みは
このあたりまでで、寺院建ち並ぶ町外れ
この地域は、(裏手の寄居村は田畑が広がっていたそうです)
寺町「
てらまち」と呼ばれていたそうです。
.
その後、市街化が進み、
寺院は町並みに埋もれ、
西堀通周辺の町名も、明治5年に
寺町」から「西堀通」と変更されましたが

現在でもこの地域は年配(失礼!)の
方々からは「
てらまち」と呼ばれ、
お盆やお彼岸等のこの通りは、
先祖のお参り来られる方々で、
にぎわっているのでした。 
西堀通十番町

西堀通りも、この辺まで来ると
比較的、静かな地域になります。
新潟の下町(
しもまち)らしさが
ちらほら、御苦労様でした。

如何でしたか?西堀散歩、
天気のいい日にでもチョット歩いてみてくんなせて。

t-nouchi
.
発見!新潟島 西堀通り寺めぐり Homeヘ戻る

.