発見!新潟島 西堀通り寺めぐり
新潟市 西堀通二番町774

眞 淨 寺

實源山 眞淨寺
<なじらメモ>

お隣の超願寺が本堂を再建したので、
西堀の寺院では
一番古い本堂となりました。
赤い屋根瓦が特徴的なお寺です。

本堂の木鼻や虹梁、海老虹梁等の彫刻が素晴らしい。
現在の本堂は天明六年(1786)十月に建立されたもの
なんだそうです。

本堂脇の
大桜がきれいっす!

※新潟明和騒動の第二次打ち壊し時に鐘が乱打された。
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鬼瓦(獅子口)かっこいい!
虹梁等の彫刻が素晴らしいのだ
木鼻の彫刻

赤屋根の本堂

参道入口

    お隣は超願寺↑

境内脇の大桜が美しいお寺!
春は学生達が花見をしながら弁当を食べています。
(学生達よ!ゴミはちゃんと持っていこうね)

お寺の概要

<新潟県寺院名鑑(新潟県仏教会)>より。
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宗派 開祖
真宗大谷派 明慶坊(土屋五郎重行)建歴二年(1212)
御本尊 寺宝
阿弥陀如来(春日作) 聖徳太子像(親鸞聖人一刀三禮)
由緒沿革
 親鸞聖人直弟明慶坊は常陸の国(茨城)の住人土屋五郎重行といい、源氏譜代の勇士(源平盛衰記)なり。愛妻を失いし出家後、世の身として四ツ辻(中頸城郡津明町)に任せしが、折から越後にあって御化導ありし親鸞聖人の御指導に預り、御弟子として法名を明慶と賜わる。

 その後聖人に供奉し、越後より常陸に行く途中しばらく赤沼(長野県大字赤沼)に滞在、とどまりて専修念仏を引むべしの仰せのもと、明慶坊ここに一宇を建立眞淨寺と号した。(広報ながの。長沼村史。郷土史家、前島照定調書)  文禄年中芋川の乱で堂宇を焼失。
慶長二年(1595)新潟に移住。元和元年(1615)現在地に移った。

 本寺はもと信越両国に三十有余の末寺を領し中本字格であった。 現在の堂宇は天明六年十月(1786)二百両の工費で建立したもので、
市内寺院中最古のものに属する。
(新潟市寺院案内 渡辺赳夫遍)


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